言ではなく身で教える

 教師には、毎日のように教えをこえる身近な師が必要だ。
 その人の歩き方、呼吸の仕方を、身近に感じ、真似できる
ほどのそばにいる師が必要だ。

 私の勤める学校の前校長はM先生であった。
 言(ことば)で職員に教える校長は数多い。
 しかし、その身をもって職員に影響を与える校長はそれほどいない。
 M校長は、まさに「身をもって」教える校長であった。
 M校長は、私の知る限り説教めいたことを、一度も職員にいったことがない。
 M校長の口から出る言葉はいつも、職員への励ましと感謝に溢れていた。
 職員会議では、「みなさんのおかげで……」が口癖だった。

 自分が退勤するときには、台所に出しっぱなしになっている湯飲みを一つ一
つ丁寧に洗われた。
 食器かごに残っている湯飲みは必ず拭いて、棚に並べてから帰られた。
 あわてて職員が「校長先生、私がやりますから、やめてください」というと、「こ
れはね、私のビョーキみたいなものだから、先生、気を遣わないで」と絶対に譲
らなかった。
 M校長は子どもたちにたいへん人気のある校長だった。
 子どもの中にいる校長だった。
 出張の時以外は、どんなに忙しくても子どもと一緒に箒をもち玄関掃除をしてい
た。
 全校朝会の時には、お得意のハーモニカを子どもたちに聞かせてくださった。

 研究会の前の日には、自らモップをもたれ、人気のない学校の廊下を掃除されて
いた。
 恥ずかしい話だが、授業公開する私の教室のモップがけもしてくださっていた。

 職員に愛情をもって接する校長であった。
 私が風邪をひいて休んだ次の日に直接我が家まで、黒砂糖でつくった飲み物を
届けてくださったこともあった。

 また、地域の中にいる校長だった。
 地域では全国交通安全運動と連動して、旗を持って街頭指導を行うことが年間数
回ある。
 その時には、必ず、自転車で町内を回られ、地域の方に声をかけ、職員に「ご苦労
様」と声をかけていた。

 すべて言うは、たやすいのだ。
 しかし、身をもってすることの困難さよ。

 私は、M校長が大好きになった。
 私は、校長の笑顔が見たくて仕事をしていたような気がする。
 野球選手がときに「監督を胴上げしたい一心で」と言うときがある。
 あれに近い心境で仕事をしていた。

 いま、M校長が転任した後の学校で働いている。
 M校長のされていたことを、少しでも真似しようと思っているのだが、できないのだ。
 帰り際に湯飲みを洗うことさえも、私には困難なことなのだ。
 言うはやすし行うは難しである。