八田與一の生き方に学ぶ
台湾全土の地図を提示して、どこの国か聞く。
台湾であることを確認して、嘉南平野の位置も教える。
さて、この嘉南平野ですが、今から70年ほど前はこのような状況でした。
夏(雨期) 華南 年間降水量2500ミリメートル 東京 1050ミリメートル 川の氾濫 家は水付け 冬(乾期) 一滴の雨も降らない 季節風が吹くと砂埃が舞い上がる 飲み水にさえ困る |
プレゼンテーションソフトによって上のことを提示する。
それでは現在はどのような状態でしょう。 |
数名に意見を聞く。
実はこういう状態です。
といってビデオを見せる。「台湾一の穀倉地帯」だと流れる。(ビデオがない場合はサイトから
画像を探すとよい)
こうした穀倉地帯にした人はどこの国の人だったでしょう。 |
『実は日本人です。名前を八田與一といいます。(肖像を提示)彼はあるものを嘉南平野につくり
ました。何だったでしょう。』
意見を聞く。
ビデオを見せる。ダムであることがわかる。
『さて、このダムを造っているときいくつかの困難がありました。まず第一に、水を通すトンネル内で
爆発が起きました。その事故で50人以上の技術者が亡くなりました。そのあと與一は、亡くなっ
た人たちのために碑をつくりました。碑の下には亡くなった人たちの名前がすべて書かれていま
した。』
さて、その名前の書き方に與一なりの思いがあらわれています。どのように名前が書かれて いるのでしょうか? |
『実は、與一は日本人と台湾人の名前を区別せず、亡くなった順番に名前を刻んだのでした』
『次の困難が與一を襲います。日本本土で関東大震災があり、ダム建設の予算が大幅に削られま
した。そのため、技術者たちを半分クビにしなければいけなくなりました。』
さて、與一はどのような人からクビにしていったでしょうか? |
『実は、優秀な技術者から順番にクビにしていきました。』
なぜでしょう? |
数名の意見を聞いたあと、「優秀な技術者はすぐに就職できるから」と答えを言う。
『さて、こうしてできあがったダムですが、今も現役で台湾の人たちのために働いています。そして、
八田與一の名前は台湾の教科書にも載っています。台湾の人たちは、與一のことを「神様みたいな
人」「偉大な人」と今も思っています。また、八田與一のお墓が台湾にあるのですが、その名前の文
字は赤い字で書かれています。なぜですか?(赤い字は生きている人の名前をお墓に書くときに使
いますね。)與一は今も台湾の人たちの心に生きているということです』