あなたにとって大切な人が亡くなったという経験はありますか。もし良かったら、その人がどんな人で、あなたにどんなことを教えてくれたか教えてください。 |
ここは決して無理強いしてはいけない。
話してくれる範囲で、ある子どもの経験をまわりの子どもに伝えられればよい。
もし、誰も話してくれなければ教師の経験を話せばよい。
また、決して身近な人でなくとも良い。
例えば有名人などでも良い。
「九州の長崎で、昭和22年こんな出来事がありました」といって、以下の資料配付。
長崎市と時津町の境に、打坂というところがあります。 「馬のお尻を打たないと登れない」ほど急な坂であったため「打ち坂」と名前が付いたそ うです。 戦後間もない、昭和二十二年の事です。 その打ち坂を1台のバスが上っていました。 バスの中には、運転手さんと鬼塚道雄さんという21歳の若い車掌さんが乗っていまし た。また、お客さんは、原爆治療のために病院へ向う人など三十数名が静かに座って いました。 バスが打坂を上っていた時、突然エンジンが止まりました。 運転手さんは、直ぐにブ レーキを踏みましたが、あろうことかブレーキはききませんでした。 あわててサイドブレーキを引きましたが、サイドブレーキも効きません。 バスは、徐々にバックしだします。 |
ここまで読んで問う。
あなたが運転手ならどうしますか? |
いくつか意見を聞き、運転手の行動として責任感に欠けるものは、吟味する。
また、飛び降りるというような答えに対しても、重病の方も乗っていたし、飛び降りたあとの
無事が保証できないということを伝えればよい。
『実は運転手さんはこうしました』
資料続きを読む。
運転手さんは、車掌の鬼塚さんに叫けびました。 「鬼塚!直ぐ降りろ!石ころでん棒きれでん、なんでんよかけん車の下に敷け!」 (鬼塚すぐ降りろ!石ころでも棒きれでも、なんでもいいから車の下に敷け!) つまり、車の下に何かを入れれば、それがタイヤを止めることになると考えたのです。 鬼塚さんは、バスから飛び降りると近くにあるものを片っ端から車の下に敷きました しかし、バスの勢いには勝てませんでした。バスは勢いを増し、後ろ向きに坂道を下り だしました。 |
ここまで読んで、次の問を出す。
あなたが鬼塚さんならどうしますか。 |
ここは重要な問であるので、全員に書かせた上で発表させたい。
発表の後、『実は鬼塚さんはこのような行動をしました』といって資料の続きを読む。
坂を、勢いを増して下り続けるバス。 坂の下にはガードレールも何もなく、ただ崖になっているだけでした。 『こいは、おしまいばい!!』(これはもうおしまいだ!) 乗客皆が、そう思ったとき崖っぷちでバスは止まりました。 乗客はバスから降り、土手に体を横たえ息を弾ませていました。 「鬼塚!どこに、おっとか!」 (鬼塚!どこにいるんだ!) 少しして、運転手が怒鳴り声をあげました。 「バスん後ろん車輪に、人のはさまっとる」(バスの後ろの車輪に、人が挟まっている) 乗客の一人が、こわごわと指さしました。 そこにあったのは、車掌の鬼塚さんのむざんな姿でした。 鬼塚さんは、どうしても止まらないバスを、自分の体で受け止めるようにして、車輪の下 で息絶えていました。 鬼塚さんはすでに内臓破裂でなくなっていたそうです。 乗客たちは、鬼塚さんの遺体を運びながら「この方は、仏さんか菩薩さんの生まれ変わりだ」と言ったそうです。 |
『さてここまでの感想を書きなさい』と指示する。
感想を交流したあと、以下の資料を配付する。
乗客は皆、口々に身代わりになった車掌にお礼を述べたが、物資が不自由な時代であり誰も何もしてやることが出来きませんでした。 それから、二十六年後の昭和四十八年に、その事を誰かが新聞に載せました。 たまたま、その記事を目にしたバス会社の社長が、その日の内に緊急の役員会を開き ました。 「私が発起人になる。浄財を集めて、鬼塚さんを供養する記念碑を造ろう」 それから、一年後の昭和四十九年十月、事故が起きた打坂に記念碑とお地蔵さんが建て られました。 今でも、鬼塚さんの命日である九月一日に、毎年供養祭が行われています。 中には、毎月一日に、お地蔵さんにお参りをする人がいる。 いつ通っても、記念碑とお地蔵さんには、新しい花や柴が供えられているそうです。 |
記念碑の写真を提示する。
人間にとって、死は絶対に避けられないものです。先生だって、みんなだって、貧しくても豊かでもいつか死は訪れます。 誰にとっても死は平等にやってきます。 だからこそ、先生は、残されたものには役目があると思います。 その役目とはどのようなことだと思いますか? |
「亡くなった人の意志を伝えること」
「亡くなった人のことを忘れないでいること」
などが出ればよい。
『人は死んだら終わりではありません。その人の意志を伝える人、受け継ぐ人がいれば、永
遠にその人は生きていると先生は思います』
【引用】
記念碑は、秘話も悲話も語る(http://www.ceres.dti.ne.jp/~zen/kinenhi.html)
HP管理者の方に許可をいただいて転載しています。
ただし、資料は小学生に分かるように山田が一部改作しています。
また、発問は北海道の小学校教員ME氏の授業を参考にしています。