中村久子氏から不撓不屈の精神を学ぶ
中村久子氏の書いた掛け軸「只念仏」を提示する。
(http://www.nande.com/hisako/3hanbai.htm 掲載)
この字をどんな人が書いたと思う? |
子どもたちは、次のように答える。
・手のない人 ・習字の先生 ・習字の好きな人
この字を例えば腕のない人が、書くことができるだろうか? |
挙手をさせる。
「書ける」という子が多い。
そこで『書くとしたらどうやって書くかな?』と尋ねる。
子どもたちは口々に、「口でかく」と答える。
『ではやってもらおう』といって、ガーゼを配る。
ガーゼをサインペンに巻くようにいい、口にくわえ「只念仏」
と書かせる。
全く字にならない。
そこで再度聞く。
この字を例えば腕のない人が、書くことができるだろうか? |
『書ける」というこどもたちは、ぐんと減る。
次に中村久子氏の縫った人形の服(写真)を提示する。
(前掲HPアドレス)
この人形の服どんな人が縫ったと思いますか。 |
・人形が好きな人 ・子ども ・器用な人 ・子どもがいる家の人
『実はこの人形の服を縫った人とさっきの掛け軸を書いた人は
同じ人です。中村久子さんと言います。(肖像を提示)』
みなさんにはあるけれど、久子さんにはないものがありました。なんでしょう。 |
・足 ・お金 など
『実は、久子さんには、両手両足がありませんでした。さっきのお人形
さんの着物を縫ったのはなんと両手両足のない中村久子さんです。久
子さんは、小さい頃、突発性脱疽という病気にかかってしまいます。初
めは左足の先が少しだけ紫色になって痛みがありました。病院にいく
と、お医者様の判断は、なんと足を切断しなければならないというもの
でした。ところが小さい子どもの足を切断するのは忍びない、と親が迷
っている内に足から手へと病気は移っていき、とうとう、両手両足共に
切断をしなければならなくなりました。なんと、久子さん、3歳の時のこ
とでした。この時の傷跡は何と14年間続きました。それに中村さんは
耐えました。』
『中村さんのお母さんは釜鳴アヤさんとおっしゃいます。(写真提示)この
お母さんによって、久子さんは色々なことができるようになりました。お母
さんが、まずはじめに久子さんに教えたのは「着物をほどくこと」です。お
母さんは久子さんの目の前に着物を置いて「ほどいてみなさい」と言いま
した。久子さんは「どうやってほどけばいいのですか」と質問しました。』
その時のお母さんの答えは何だったでしょう。 |
書かせた後、数名を指名する。
お母さんの答えは「自分で考えなさい」でした。 |
『さらに久子さんが、「どうしてもできません許してください。お母様」という
と、「できないと言うのは横着だからです。やるという気があったらできな
いことなんて無いのです。あやまりなさい。そしてやるのです」といったそ
うです。そして、久子さんは結局口ではさみを使うことを思いついて、自分
で着物をほどくことができるようになりました。(口ではさみを使う写真提示
)』
『そして、こんなこともありました。久子さんが、マッチの擦り方を覚えようと
しているとき、久子さんがお父さんのキセルに何度もマッチを差し込んだの
で、キセルを壊してしまったのです。すると、お母さんは、久子さんのことを
とても怒り、しかもキセルを久子さんの手の届かないところに隠してしまっ
たのです。マッチの擦り方も教えず、せっかくキセルに火を付けようと練習し
ていたのに取り上げられた。』
あなたが、久子さんならお母さんのことをどう思いますか? |
・何てひどい人だ。 ・大嫌い。
『久子さんは、実はこう思っていました。』
「本当の母親ではないのではないか」 |
『しかし、大きくなってから久子さんは次のように話しています。』
「私にとって、どんなことでも易々とできたものはないのです。言 い表すことのできない難儀と苦労の果てにできあがったもので す。しかし、ここまでできたのもみんな母による厳しいしつけに よるものでございます。思えば冷たい母の仕打ちは何物にも勝 る愛情だったのですね。」 |
『さて、いよいよ、針仕事を覚えていたときのことです。懸命に針仕事
を練習しているとき、お母さんとおばあちゃん以外の人はみんな「手
なし、足なしに何ができるか?」といって馬鹿にしたそうです。ところ
が、やがてお人形の服が縫えるようになった。口で縫うのでできあ
がったときは、着物がつばでべとべとだったそうです。それをおばあ
ちゃんは丁寧に乾かしてくれたそうです。久子さんは大変そのことが
うれしく、近所の子にお人形の服をプレゼントしたそうです。
プレゼントされた子は、「久子ちゃんが縫った」と大変喜んだそうです。』
しかし、その子が持って帰ると家では信じられないようなことが起きました。何だったでしょう。 |
・家の人が着物を捨ててしまった。
『つばがついた服なんて汚いというわけです。ものすごい侮辱ですね。』
そのことを後から聞いた久子さんはどうしたでしょう。 |
・もう縫うのをやめてしまった。 ・ぬれないように練習した。
実はそれから濡れない着物が縫えるように、練習をしました。 そして、なんと、14年後つばでぬらさずに着物を縫えるようになりました。 |
そして、「あの侮辱は( )だ」といっています。なんと言ったのでしょう。 |
書かせた後、指名。
『答えは宝です。つまり、あんな風に侮辱されたおかげで私はぬらさず
に着物を縫うことができた。大変ありがたいことだと思ったというのです。』
最後に最初と反対のことを聞きます。 久子さんにはあるのに、みなさんにないのは何でしょうか? |
全員に書かせて、発表させる。
『最後にもう一つだけ、エピソードを紹介します。実は、41歳のとき久子さ
んは、あのヘレンケラーにあっています。その時、ヘレンケラーは、久子
さんの短い両腕を触ったとたん顔色が変わり、さらに下半身を触って両
足がないことに気が付くと、久子さんを抱きしめて、「私より不幸な人、そ
して私より偉大な人」といったそうです。』
【参考・引用文献】
中村久子『私の越えてきた道』春秋社
瀬上敏雄『中村久子の一生』春秋社
黒瀬しょう次郎『中村久子の生涯』致知出版社
黒瀬しょう次郎『中村久子先生の一生』致知出版社
中村久子顕彰会HP http://www.nande.com/hisako/6kensyo.htm